【一人語り日記】昔好きだった人に関する雑記
どーも、erimaです。
昔好きだった人はわりと、その時間、いまその時を大事にする人でした。
私はその時というよりも、前後のつながりや縦のつながり、また先へのつながりを大切にしていたので、そういった価値観の面で学ぶところは多くありましたね。
例えば待ち合わせひとつ取っても、大抵私の方が早く着いちゃうんです。
彼との繋がりを断ちたくないし、この先も繋がっていたかったから。
でもあの人は違った。
少し遅れてやってきて、特に気にすることもなかった。
それで私はいささか傷ついたのですが、あとから考えると彼にとっては「その場にいる、来る」ことが大切なのであって、その遅れてきたことによって生じる未来への繋がりの断絶の可能性だとかそういったものには一切執着していなかった、ただそれだけのことなのでした。
こういう考え方は男性に多い気がしています。
断続的な関係性で人間関係を築くタイプ。
繋がりよりも自分のペースや自分の時間、その時その時の感情を大切にしている、ただそれだけの違いなんでしょうね。
その時の私には分からなかったのですが、いまなら分かる気がしています。
未来のつながりや他人からの視線、評価を気にしすぎることなく生きる。
これが私の叶わなかった恋の代償とも言えるでしょう。
というより、私が自分自身に愛想をつかした感じすらあります。こんなに真面目にやってる私、あほくさ、みたいな。
そもそもなんであの人のことが好きだったのかいまだに謎です。
本の虫な私と全然本を読まない彼のお陰で、ときたま私がいったジョークが通じないこともありました。
悲しさというか虚しさは感じましたけど、なんか好きだったんですよね。
それ以上に話のテンポだとか、ふとしたLINEの返し方だとか、誰かに対する考え方や思いやりだとかそういったものがしっくりくる稀な人物ではありましたけど。
当時はこの人しかいない、まさしく運命だとまで思っていたので本当に盲目的だなぁと呆れるばかりです。
今となっては好きという感情もよく分からないし、顔を思い出せないし、そもそもあれがなんだったのかもよくわかりません。
けれど案外、人間なんてものはそんな感じでいいのかもしれないです。
そもそも私は自分も含めて、人間なんてたかが知れてる、という考え方をしています。
世界で一番可愛いのはネコチャンやワンチャンなので、人間の出る幕はないですし、そもそも人間の能力なんて地球単位で考えればちっぽけなもんです。
それだったらよっぽど庭にうごめくミミズくんたちのほうが地球にとって有益だと思うからです。
でもなぜそんな不完全な存在がいまだこの地球上に存在し、こうしてうだうだブログなんてやっていられるのだろう。
そう考えた時に、私はふとアイヌの考え方を思い出すのです。
アイヌの考えによれば、人は皆じぶんの役割を持って生まれ落ち、死んでいきます。
つまりミミズ以下の私でもなにかやることがあるのです。
そう思いたい笑笑
まぁこんな感じで万事が万事、ネガティブ人間なので人前ではわざと「私って天才!」とか「私最強」とか無意味に言ってみたりしてます。
なんとなくそれで釣り合いをとってるつもりなのかもしれないです。
わりと笑いも取れますし、こんなネガティブな本性曝け出すよりは人間関係上手くいってるので、言霊ってすごいですよね。
ほんと昔から不思議なんですけど、すごく才能がある方やセンスがある方に限って自分で評価しないですよね。
自分で言っちゃう人は所詮3流止まりなんだと思います。
明らかに私の方が上だと思うけどな、って人が威張ってるときはそっとしておくことにしてます。
どーせそのうちばれますし、言わせておけばいいやって感じです笑笑
なんだろ、私みたいにネガティブを隠すための嘘とか虚栄はいいんですけど、ほんとに自分の能力を誇示するためだけの嘘や虚栄って見苦しさすらありますよね。
大丈夫かな?って心配になります。
心配するだけでなにもしないんですけれど笑笑
私がこの大学に入ってから学んだことは、必要以上に干渉しないこと、そして自分で自分の機嫌をとることでしょう。
結局、自分のことは自分でやるべきだし、他人のことには必要以上に踏み入ってはならないと思うんですよね。
のちのちトラブル回避にもなるのでこれは自分でも大事に、意識してます。
高校の時あたりからですけど、生まれも育ちも違えば考え方も違う他人に惑わされるようになって、だいぶ価値観が変わった感じはしてます。
小学校とか中学校のときに周りにいる人って所詮近くに住んでたり、保育園が同じだったりで家族に近い顔見知り、みたいな距離感だったんです。
だから、困った人がいたら当然助けるし、助けてもらえる、それが当たり前でした。
でも現実はそうではないですよね。
どうやっても話の通じない他人や距離感のおかしい他人、助けてもらって当然みたいな顔してるくせに助けることはしない他人。
正直高校に入った当初はその冷たいギャップに圧倒されました。
世界ってこんなに絶望的な場所だったのかと。
きっと神様から見放されたアダムとイブもこんな気持ちだったのではないでしょうか。
そこからだいぶ経って環境にもなれたころ、私なりのルールができました。
簡単に人を信じたり、貸したり、助けたりしない。
冷たいようですが、要は見極めが肝心ってことです。
小学校の時のように、助けてくれる暗黙の仲間はいませんし、貸したものが帰ってくるという保証もありませんから。
だから私が教科書や私物を貸し借りした人物はほんのわずかです。
しかもちゃんと必要な時間とそうでない時間を聞き出して終わったら返してもらいに行ったり催促したりしてました。
仲が良いからこそ、そういうところはちゃんとしたいなぁと思います。
このルールがちゃんと通用する人物じゃないと私は絶対にものを貸しません。持っていても「ない」と答えます。
意地悪してるわけでなくて、自衛しているだけなのです。
以上わたしが日頃思っていること及び昔好きだった人の雑記でした。
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