平和学に触れよう!いま必要な学問【平和学】
今回は書評記事です。なにぶん私が現在テスト期間なので、私が勉強中のテキストを記事に取り上げさせてもらいます笑笑
『平和を考えるための100冊+α』
この本は、日本平和学会によって編集された本です。
この本のすごいところはずばり、
『この本を読めば、平和学を学ぶ上での必読書がわかる
だけでなく、たとえ掲載されている本をを読まなくても、書評からなんとなくの概要をつかむことができる』
点にあります。
これ実はめちゃめちゃすごいです。
- 一冊一冊の書評は見開き2ページ
- ポイントを押さえた専門家の書評
を備えた平和学の本はなかなかないです。
私は大学でこの内容を授業で受けているわけですが、この本さえあれば平和学の講義を受けたのに匹敵するくらい知識が深まります。
私のおすすめ書評トップ3
そのなかでも私がおすすめしたい書評が3つあります。
こちらはぜひ書評を読み、原点にあたってほしいくらいおすすめです。
- ガルトゥング 『構造的暴力と平和』
- ウルレヒベック『危険社会』
- ハンナアーレント『暴力について』
この本を読む意義
世界には、平和ではない国がたくさんあります。こういうと私たちは、内戦や紛争の絶えない中東や銃規制のない国をイメージするかもしれません。
しかし平和学的視点で考えれば、日本もまた平和ではない国の一員なのです。
真の平和とはなんでしょうか。なぜ日本では毎年2万人もの自殺者が生まれ、いじめは終わらず、原発は廃止されないのでしょうか。
その答えは全て平和学の中にあります。ウルリヒベックの危険社会論から引用すれば、危険が分散された社会ではもはや専門知を持つ人々による中立的な統治は困難なのです。
福島の原発事故でも多くの専門家が研修していたはずなのにもかかわらず、事故は起ってしまったわけなのですから。
これに対抗しうるのは、もはや私たち、専門知を持たない市民であるとベックは指摘しています。現場に生き、日々身をもって暮らす現地の人のほうが、よりリスクによる影響を受けやすく、そのリスクは現実味を帯びたものになるためです。
これを文中でベックは対抗専門家、対抗科学
と呼び、これからの時代において大きな役割を果たすだろうと述べています。
最近、ゴールデンカムイを見たのでアイヌの人々の例えを使ってみましょう。
アイヌの人々にとって、森の動物は須らく神が獣の姿を借りてこの世に降りてきたものです。
それは彼ら、動物の力は人の手に余るものであると考えていたためでしょう。加えてアイヌの人々は炎も刀も水さえも、神や神霊によるものだと考えるのです。
一見非科学的ですね笑笑
しかし彼らの宗教観は非常にロジカルで物事を“そのまま”に捉えているのです。
現在の科学で水を見るとき私たちは、『空気中の酸素と水素が結びついて生まれる流動てきな物質』として見るでしょう。
しかしながらこれは、正確に物事をつかんでいるようでそうではありません。
科学という手法から事物を捉えることはすなわち、物事に二次的に解釈しているともいうことができるのではないでしょうか。
言葉の表現力や伝達力が写真に劣るように、自然を一度科学という人間の解釈のフィルター越しに理解することは、誤解や傲慢さを生みます。
科学はたしかに素晴らしい人類の功績です。これのおかげで私たちの生活は、洞窟で暮らしていた私たちの祖先のものとは比べ物にならないほど豊かになりました。
しかし、それによって新たに生まれた悲劇もあります。
資本主義というシステム、私たちの全ての価値観に刷り込まれた市場の論理、そして圧倒的に欠如しているのは人間的な豊かさです。
いまこの世界に起きている問題の大半は自然発生的に生まれたものではありません。
その全てに構造的な要因があり、環境があって成り立っています。
しかし現在に生きる私たちの論理はあまりにも目先のことだけに向きすぎている気がしてなりません。
「今だけ、金だけ、自分だけ」の世界です。
それでは人間としてあまりにも貧しすぎる。私はそう思うのです。
ですから、平和学の思想に触れ、構造的にものごとをみるという考え方を多くの人が体得してほしいそう願っています。