車椅子の国会議員の意義!!れいわ新選組の躍進を無力な大学生が考えてみた!

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こんにちは、erimaです。

今日は19時から山本太郎氏の記者会見があるらしいですね。めっちゃ行きたいよー。地方民はおとなしく動画がうpされるのを待つこととします。

 

今回の記事はれいわ新選組から国会議員になった車椅子のお二方についてです。

“しょうがい者は国会議員ができるのか”について徹底考察します!!

話題のツイートみた??

↑これです。

一時期は芸人の山田ルイ54世さんの画像がアイコンになっていただけあり、本人から別人であるという旨のツイートが出されました。

 

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(かく言う私も最初は、山田さん本人のツイートなのかと思っていました…申し訳ない)

これ相当悪質ですよね。この話題に対する意見で、ご本人さんの印象がだいぶ変わりますもの。結果的に本人さんのツイートは贋作の方以上にバズり、評価が上がった印象でしたが。

 

 

情けないなぁとしか言いようがない

ていうかそもそもこういった内容のツイートにこんなにいいねやRTがつくことに、日本国民として恥ずかしいと思わないとダメです。

 

そこで、改めてツイッターについてまとめて行きます。

 

そもそもツイッターって共感ツールでしかない

Twitterの最大の長所であり、短所であるのがこのいいねRTの存在。

先日開発者の方の記Twitterのリツイートを作った男、後悔するなんかが上がっていました。

 

拡散されればされるほど多くの人の目につき、有名になるRT(バズる)機能と

共感できる内容のツイートにマークを残せるいいね(今ではほぼRTのようにさらされてしまいますが)機能はとても便利ですよね。

 

しかし

よく考えてみてください!そのバズってるツイート必ずしも専門家によるものではないことも多いですよね。そう、単なる共感でしかないのです。

 

まあ匿名でこういう風に共感を可視化できることは、ある意味ほんとうの民意を見ることができる画期的な仕組みではあるのですが。

 

悲しい民意、落ちた国民性

友人とたびたび会話に上がるのは現代日本人は忙しすぎるというものです。

ロボットのようにあくせく働き、文字通りくして生きています。

 

実際日本は絶賛20年のデフレの真っ最中。がなければ、お金もありません。

そういった中で浮き上がって来たのが、教育や介護の分野からの悲鳴でしょう。

 

国にとって一番の宝であるはずのこどもにかける予算が全体の16%程度しかない国なんて日本の他にありませんよ。

 

ほかの8割は何に使っているのか知りませんが、おおかた一部のお金持ちや某お笑い事務所、◯KBあたりに使われているのでしょう。予想はつきます。

 

そんななか、未だに一生懸命働けばどうにかなると思っている人が一定数います。

私の前のバイト先のパートのおばさまがそうでした。

 

彼女の口癖は

「私たちが頑張って、売り上げが上がれば、給料も上がるのよ」

でした。果たして本当にそうでしょうか。それならなぜ、日本の多くの大手企業に内部留保が存在するのでしょうか。

 

なぜ、彼女のような正規雇用者が多く雇われているのでしょうか。

もっと構造的にみていく必要があるということです。単に頑張ればどうにかなる時代はとっくに終わっているのです。こんなに生活が苦しいのは国民の自己責任なのでしょうか。

 

今の社会は人をものにする社会

ここで元の話に戻しましょう。

なぜ一定の割合で、国会議員なのに自分で介助費用をださないんだと怒る人が出てくるのでしょう。それは、自分も貧しいからです。

 

そしてこういった人々は大抵、自分のことは自分でできますし、もしかしたら多くの奨学金や借金を抱えるのが当たり前な世代だったのでしょう。

 

 

しかしだからといって、お前も同じように苦しめという発想は全くナンセンスです。

この構造はそのまま植民地主義の奴隷根性だとも言えます。

 

ほんとうの悪は他にあるはずなのに、なぜか自分より弱い立場の人間を叩いてしまう。

なぜ、そんな風な賃金にした会社に、社会に、政権に怒らないのでしょうか。

 

今の日本における価値尺度とは

  • 他と違うか
  • 公共の福祉を妨げないか
  • 社会に対して生産性があるか

 

の3つです。

でも良く考えてみてください。

これまるで商品を選ぶときみたいじゃないですか?

数ある市場から、良品を選ぶ基準そのものではありませんか?

 

このような価値観は、日本人がまだ幼い頃に刷り込まれるものです。

そう、道徳の時間です。

 

最近の道徳教育は、正式に他の教科と同様に成績をつけるらしいので、私の頃よりもさらに拍車がかかっています。

 

優しさ、心を学ぶ教科に成績をつけるということは、明確な目的があります。

そう現政権お得意の忖度の練習をさせているのでしょう。

 

本来、国民の民度をあげ、高い国民性を身につけさせるはずが、良心という名の暗黙のルールを覚えさせる場にすり替わっているのです。

 

最後に私が言いたいことは

他人に自分を投影しすぎてない??

しょうがいのある方を叩く方々っていうのは、おそらくすごく頑張っている人なんだと思います。で、幸か不幸か、五体満足で度重なる苦難にも乗り越えて来られた。

 

ですが、だからしょうがいのある方を叩いていいわけではありませんよね。そもそも国の重度障害者むけ介助サービスは命に関わるからやっているのであって、仕事をしようとした途端見放されるというのは、自立の機会を取り上げられているにも等しいことです。

 

健常者の中が、なんの理由もなく突然仕事を解雇されるようなものです。

今の日本がやっていることは、「しょうがい者は寝ていろ。社会に出てくるな」

と言っているに等しい行為です。

 

それを理解した上で非難してほしいと切に思います。

 

最後に

れいわの二人の成し遂げたこと

こういったしょうがいを持つ人の生きづらさを身をもって主張した

このことに大きな意義があると感じています。

 

かく言私も彼らが当選するまで、自分の国しょうがい者制度の不十分さを全く知りませんでした。

 

日本は来年、オリンピック・パラリンピックのホスト国を務めます。

ならば、よりいっそうのバリアフリーを進めなくてはならないことでしょう。

 

バリアビルドな社会にならない、全ての人に優しい社会になってほしいですし、そのためには山本太郎さんの言うように『愛も金も足りてない』のだと思います。

 

まずは国民の社会の向上、そしてそこからやっと愛は生まれてくのかなと思います。最後までお読みいただきありがとうございました。