漫画の神様、手塚治虫先生が現代に残した最高傑作【メトロポリス】大考察

 

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こんにちは、erimaです。みなさんSFは好きですか?私は結構SF映画もアニメも小説も好きで嗜むのですが、最近ディストピア展開笑えなくなってきてつらいお年頃です。

 

でもついつい見てしまうんですよね。怖いもの見たさというか、好奇心というか人間の根本原理に迫るものがあるんでしょう、きっと。

 

そこで今回考察するのが、上の画像にあります「メトロポリス」です。全編3DCGで作られていますこちらのアニメ、制作したのはマッドハウスさんです。キャストには若本規夫、友情出演でやなせたかしさんが声を演じていました!豪華!

 

ではあらすじをご紹介しましょう!

 

 

あらすじ

人間とロボットが暮らす超近代都市、メトロポリス。そこに日本からはるばる探偵のヒゲオヤジ(手塚ファンにはおなじみの彼です笑)とケンイチがやってきた。それというのもこの世界において犯罪にあたる人造人間実験をしたというロートン博士を探し、逮捕するためである。

 

メトロポリスは表向きは(人とロボットの共存を実現した都市)であった。しかしその実情は大きく異なる。人間によるロボットの奴隷化、それに対する反対運動やロボットによる反乱も多く、さらには人間とロボットに同等の権利を主張する団体まで現れる始末だ。

 

そんななか、ヒゲオヤジは市長に協力を依頼するが”人間”の手は貸すことができないと断られてしまう。その代わりにやってきたのがロボット刑事の型式803ⅮRTDM4973C、通称ペロであった。

 

ペロによると博士はゾーン1にいるだろうという。ゾーン1は地下に存在し、時に警察の権限も及ばないという。ちょうどそのときマルデューク党の長であるロックはロートン博士と彼の作ったロボットを追いかけ亡き者にしようとしていた。

 

そしてついにロックは博士を追い込み瀕死状態にまで追い詰め、研究施設に火を放ったのであった。ロックは孤児だった自分を救い、こどものように面倒をみてくれたレッドに対して心酔しきっていた。

 

それなのに、ロートン博士と手を組んで超人兵器にばかり熱中するレッドを快く思っていなかったのである。

 

詳しくは👇

メトロポリス (2001年の映画) - Wikipedia

 

メトロポリス勢力図

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この勢力図はわかりやすいように簡略化していますが、実際は味方の裏切りやさまざまな登場人物たちの思惑が交錯しています。今回は、上のチャートを使いながら考察していこうと思います

 

“偉大な神を手中に収めたり!”

そもそも前提として考えていきたいのが、レッド公・ロック・TIMA(以下ティマ)の関係性です。レッド公は、世界を掌握するために超人の椅子を作りました。超人の椅子とは高性能コンピュータと接続することで地球上のシステムの全てを握り支配するという兵器の基盤です。

 

この基盤に必要なのが超人たるティマでした。ですからレッド公は、人間を超越した存在であるティマに執着し、権力を得ようと画策しました。

 

一方でロックは先の大戦で生き残った孤児であり、レッド公に引き取られました。そのため、彼はレッド公を父と仰ぎ、世界を掌握するのは偉大な父だけだと主張するのです。この思想がのちにロボットへの強い憎しみや確執を生みます。

 

ティマはロートン博士によって作られた人造人間です。しかし、完全な覚醒を経ずに生まれ落ちたため、はじめてあったケンイチを親のように慕います。人間であるケンイチとのふれあいの中で、ティマは感情や愛を体得していきました。

 

この三角関係とも言える相互のもつれが悲劇を生んで行きます。

 

ロボットと人間

このメトロポリスでは、ロボットは人間よりも下等だと位置づけられています。そのためゴミ処理や消火作業といった危険な作業はすべてロボット任せです。さらに、ロボットたちは厳しく分業されており、彼らは自分の担当しているエリアから出ることは禁じられています。

 

私が注目したいのは、ケンイチがロックからティマと一緒に逃げたあとのシーンです。そこにはフィフィというゴミ処理ロボットが登場します。フィフィは甲斐甲斐しく2人を助け、ときに2人を庇って銃弾を身に受けてしまいます。

 

彼らには、もしかしたら人間に対する気遣いがシステムとして組み込まれていたのかもしれません。しかし、フィフィの一連の行動にはたしかに人間のような、ある意味人間以上に人間らしい営みを見ることができるのではないでしょうか。

 

またケンイチのロボットに対する姿勢も重要な意味を持っているように思えます。ケンイチはどんなロボットにも対等に接します。また作品冒頭では、ロボット刑事ペロの名前を一度聞いただけで完全に暗記していました。

 

これには彼なりの信念や思いが込められていると解釈できるでしょう。彼は人間の名前を使われないそれ以下だと定義されるロボットを対等に扱います。それはときにロボットす困惑するほど徹底しているのです。(作品冒頭のペロに自己紹介するシーンでケンイチはペロに握手を求めていましたが、彼は少し戸惑っていましたよね)

 

ロボットは下等なものではない。人間と対等に生きていける権利があるし、人間だって彼らを尊重し一緒に生きていくものだという絶対的な信念が感じ取れます。

 

欠けた愛

私が印象的だと感じたシーンにロックがティマに「お前に父はいるか」と問いかけるシーンがあります。ここでティマは「ケンイチ」と返したことでロックに激しく馬鹿にされてしまうのです。

 

しかし、この問いは一方でロック自身の不安の現れであるように思えてなりませんでした。彼自身の両親はこの作品の中で語られることはありません。ですが、彼は“愛”に飢え、いつまでも“父がいて自分は愛されている”と思いたかったのではないでしょうか。

 

愛に関するエキスパートであり、哲学者であるエーリッヒフロムによれば、私たちは母性的な愛と父性的な愛を得て、そこから段階的に愛することを知っていくのだと言います。

 

母性的な愛とは無条件の肯定であり、あるがままを認めてくれる絶対的な愛です。一方で父性的な愛とは条件的な愛を指します。父なる存在は、子に対して愛されるだけの成果を求めるのです。

 

ロックは父性的な愛に飢えるあまり、父親の愛が向かう対象(ティマやロボット)を殺すことでしか、愛の証明ができませんでした。それが彼の最大の悲しい点であり、愛すべき点だと思います。

 

父と母を兼ね備えた存在

ティマは愛をしり、悲しみを知りました。そして自分が人間ではなく哀れで悲しいロボットだと気づいた時、絶望しながら超人の椅子に座るのです。

 

ですが、ティマにとって最後まで希望を与えてくれたのはケンイチの存在でした。私のお気に入りのシーンに反ロボット団体の団長アトラスのアジトのシーンがあります。

 

安全な場所を得たケンイチはティマに文字を教えます。上手にかければすごいすごいと褒めてあげます。また、髪が伸びたティマが「ケンイチはどんな髪型が好き?」と聞いた時に「今のままがいいよ」と言ってあげるんですね。

 

一見何気無い行動のようにも取れるのですが、これらの行動はすべて父性と母性をかね備えているのです。ティマにとって幸運なことはこのように愛を教えてくれる相手がいたということなのでしょう。

 

『私は誰?』

この作品では何度も何度も『私は誰?』という問いが繰り返されます。誰もが一度は考えたことがあるのではないでしょうか。例えば、『私』と『君』を区別するのは何故なのか。そもそも『私』とはなんなのか。

 

ティマはきっと最後までこの問いに対して確かな解を得ることはかないませんでした。しかしながら、ケンイチは最後にフィフィやそのほかのロボットたちがティマを覚えていたことからその答えをみつけたのではないでしょうか。

 

人間はひとりでは生きていけません。物理的にも精神的にもです。しかもこれは人間に限った話ではないのです。虫も草も動物も縁で繋がれ、連鎖することで存在しています。

 

ですが、文明が発達した世界において人は『自分たちは分断され、独立した』と思い込んでいるのです。これは国家が発展していく過程で、資本主義に方向転換したことによる避けがたい道でした。協力よりも競争、他よりも個が尊重される社会は一見合理的で素晴らしい世界のよう見えます。

 

私たちはいつでもどこでもネットを通じて好きな時に、好きなものを得ることができますよね。物理的にはたしかに豊かであると言えます。地方にいながら東京で作られたアニメを見れますし、グッズも円盤も買えます。

 

でも良く考えて見てください。便利なはずなのに私たちの欲望は尽きることがありませんよね。豊かになればなるほど、グッズは欲しいし、まだ見ぬアニメを開拓したくなってしまう。もちろん悪いことではありません、決して。

 

でも日々情報に追われ、朝となく昼となく忙しい現代は本当の意味で『人間らしい』と言えるのでしょうか。

 

要するに共生社会って大事って話

長々とここまで語ってしまいましたが、この作品で取り扱いたかったのはズバリ『共生社会』だと私は思います。ネットとの共生、他人との共生、ロボットとの共生。みんな丸い縁で繋がっていて、その存在に無意味なものなどありません。

 

この作品はそういうことが言いたかったのではないでしょうか。そこには愛っていうテーマも含まれますしね。

 

総まとめ

ここまで考察してきましたが、見るたびに印象が変わっていくと言いますか、私たちの今を突きつけられているような気分にされる作品だと感じました笑

これをまだネット社会でも何でもない時代に漫画にした手塚治虫先生はほんと人間じゃないですね(褒め言葉)

 

とにかくフィフィは可愛いし、ロックも可哀想で可愛いし、ティマはとにかく美しいのでまだ見てないはぜひ見てみてください!!

それで、感想や考察ありましたら、コメントで教えてくださると泣いて喜びます笑

 

よかったらこっちのアニメ考察記事も読んでいってください〜

erimadeculture.hatenablog.com

 

 

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